能動性と後ろ支えの基盤

  今週はジャカルタからバリに向かい、ホテル営業にランドリー進捗確認とようやく一段落し、本日ジャカルタに戻りました。明日はこの足で東京に向かいますので、週末は移動日となってます👌

   それにしてもこれで9月が終了し、いよいよ月曜から10月、「今年も残すところ後…」というイメージになりつつあります。何とかいい年内を乗り切っていきたいと改めて感じる次第です。来月も日本往復でもう距離感も全くなくなって来ました。4日に再度バリに戻ってくる予定ですので、今からその段取りです。

   このような日々を送る毎日ですが、50歳にもなった事もあり、改めてこの半生を振り返って考えてみました。やはり、生まれてから20歳になるまでは親の加護の元、小遣いは人より少なかった記憶があるのですが、教育費用は何も考えずに学校に行かせてもらってました。ところが20歳になった時、何と私の為に貯めてくれていた郵便貯金など一切合切渡してもらい、それ以来親とは別々の生活を送るようになりました。

   その資金を元手に大学を休学し、10か月程ワーキングホリデーでオーストラリアに遊学し、20代はサラリーマンになりましたが、少し人と違う行動を取ってました。大手金融機関に就職しても結局生涯そこで働く事はなく、東京でマンションを買って借金もあったのですが、31歳で脱サラし中小法人で生き抜く事となったのです。しかも福岡という地方の中小法人に入社し、3か月後には少額でしたが出資してITベンチャーに挑戦する事としました。しかし、さすがに世の中甘くなく、大手の資金力には敵わないまま退社を決意、34歳で今の八木春に入社しました。しかし、既に前職で資金繰りをやってた所もあり、30代で経営感覚は養われたと思います。

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(写真は飛び込みで営業した日航ホテル)

    八木春に入社してから後継ぎという立場ではありましたが、タオル卸業の現場をゼロから経験し、6年は下積みした所、2008年にリーマンショックで会社が傾いたので、全経営陣に退社して頂き2009年4月に社長に就任する事となります。40歳の時でした。そこから昨年八木春の社長を8年で退き、八木春産業の社長も妻に譲り、連続起業を志向する経営者として走り続け今があります。今年からは海外事業を主に推進する事となりました。ついに繊維業からランドリー工場を立ち上げ、水と洗濯にまみれた次のステージに入って今月50歳を迎えてます。

   駆け足で振り返りましたが、20代で世間を知り、30代でプレイヤーとしてさまよい、40代で商人道経営者人生が定まりました。客観的に自分を見つめた時に、どこでこの自発性や能動性と言ったものが養われたのか、実はポイントがあった気がします。一言で言えば、後ろ支えやバックボーンと言った基盤や自信ではないでしょうか。稲盛和夫京セラ名誉会長の立ち上げた盛和塾での経営哲学や、財団法人モラロジーという道経一体思想は判断軸となり、感性的にくよくよ悩むような事はなくなりました。

   また、実家がクリスチャンだった事もあり、信仰も支えにはなったと思います。他には当然金銭的基盤です。サラリーマン時代から金融については身につけた事もあり、貯蓄のみならず運用は債券、株式、不動産と一通りやってきました。お陰でバランスシートやポートフォリオの考えがみっちり身につき、今でもグループ各社の計数管理はどこにいても持ち歩くほど金銭的基盤を常に確認して行動を取るようにしています。要は能動的活動には、やれるだけの背景がないと無謀な挑戦になりかねません。

   こうして考えるとチャレンジ精神は大事ですが、同時にその基盤を持つことの重要性をこの歳で考えるようになりました。今日はこんな所で👋