社長業は脚本家か⁉️

   また冬の日本に戻ってきました。大阪では雪まで降り出してます。早いもので今月も月末に差し掛かり、来月の予定も立てていかないといけないのですが、今は毎日目の前の事に集中する必要があり、簡単に先を考える事は難しい現状です。昨日より今日、今日より明日と前進したいものです😉

   毎日肉体は衰えるのですが、この前進というのは詰まる所心のあり方とも言えます。前回志の話をしましたが、青春というのはある一定の時を指すのではなく、心の状態を指すというサミュエルウルマンの詩もあります。昨日は「心聾(しんろう)」という言葉を初めて聞きました。沢庵禅師が説いたようですが、心の耳つぶれということだそうです。人の話を聞くときは頭の中を空にして聞かないと、耳に入りながら心を得ないというのはよくある事ではないでしょうか。固定観念や過去の経験までも、前進の妨げになります。

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(観光客で賑わうミナミ)

   ところで志にも通ずる生き方ですが、「一燈照隅」という考え方があります。人はそれぞれ固有の用というものを持って生まれてきており、賢は賢なりに、愚は愚なりに、立場立場においてなくてはならない人になるという考え方です。この思考が非常にいいと思うのは、つい人間は人との比較で生きるからです。私はたまたま八木家で生まれ、たまたま八木春という会社で働いてますが、恐らくそこに何かしらの役割があって、その意識が船場商人というDNAを伝承し、関わる社会のあり方や社風を決定していくのでしょう。別に偉い人になる必要はないのです。

    そもそも社長業って偉い訳でもなんでもなく、会社を代表して仕事するだけで、法人という無機質な存在の代わりに社長が言葉を発したり行動取ったりしてるのです。これは一種の役者とも言えるもので、主役が主演を果たし、裏方は裏方でしっかりと努めを果たさなければいいドラマは出来ません。だから物語を創造しないといけないのです。もしかしたら脚本家かもしれません。シナリオを描く必要があります。

    いよいよ今週は再度大きな話し合いの機会が待ち構えてます。そろそろ物語を書いていきたいと思います👌

    それではお後が宜しいようで、今日はこんなところで👋