多様性

   前回女性の活かし方と題して書いてみましたが、女性を社会で登用する事はまず多様性への第一歩ではないでしょうか?日本社会は画一性を求めてきたせいか会社幹部は圧倒的に男性の比率が高く、「多様性の中の統一」を国が掲げてきたインドネシアとは対照的です。

   もちろん多様性と言っても男女だけでなく、人種や宗教、言語などの違いがインドネシアの活力にもなっているのですが、日本は「外人」という表現で多様性を拒んできました。今年は明治維新150周年に当たるようですが、江戸時代の鎖国から開国した時は海外から物凄い吸収を見せたはずです。戦争を経て宗教心も失い、寛容性を忘れてしまったのでしょうか。

  「武士道」を新渡戸稲造は英文で発表したぐらい当時はびっくりする程英語も操っていたのが、何故学校教育で教わっても話をするのすら慄くのか、日本人の特性は変に偏ったとしか思えません。話はそれますが、もし「商人道」が英文で書かれていたら、今頃日本は武士道の国とならず商人道の国と言われてたのではないでしょうか。要は武士だけが道ではなかったはずで、多様な価値観があってしかるべきです。

   八百万神とか言って宗教には寛容なようですが、宗教戦争を問題にして一神教に対して非難したりします。要するに人と違う事を美徳とせず、人と同じ事を大事にしてきたとしか思えません。違う意見だと空気を読めない人とまで言われます。海外の国々はそれこそ多民族で移民を受け入れたりしているので、それこそ違う人にそこまで異質な目で見ません。

   どうも政治の世界が多数決で決まるので、少数派は地位を下げる印象があります。本来の民主主義とはマイノリティを受け入れる事であって、排他的にする事ではないはずです。「君子和して同ぜず、小人同じて和せず」と言いますが、異質な他者を受け入れるのが和であり、和とは決して同質化する事ではありません。

    意見がバラバラだと統制が効かなくなるようですが、高度成長期のように一斉に成長できる時代ではないので独自性や差別化を求められるようになり、今までの方針を転換しないとパラダイムシフトは難しいでしょう。だから多様性が必要なのです。他人を尊重すればいいだけの事で、そんなに難しい事ではありません。

   権威主義で人と同じレールを歩ませたがる日本社会が、第二、第三の開国の時を迎えているように思います。いい大学に行かせ、大企業に入らせる時代ではないと断言してもいいでしょう。そもそも日本は中小法人が9割の社会です。大志を抱いていきましょう!(写真はムスリムファッション展の様子)

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