八木春元会長の死

    今週も慌ただしくしてる最中、ショックなニュースが飛び込み、暫く茫然自失の状態になりました。私の八木春入社の時からお世話になった中山正三元会長が83歳で亡くなったという、俄かに信じられないニュースでした。確かにいつかは誰もがそうした道を辿るものですが、いざそうなるとやっぱり悲しいものです。中卒で八木春に入って50〜60年も勤めた人はそうおらず、同じく八木春に長年勤められたお兄様と、2人から私は色んな事を教わりました。正に生き字引だったのです😂

   本人も「私は創業者八木春一の作品だ」と言って憚らず、私は一緒に働いた事がない祖父の精神を元会長から受け継いだようなものです。OB会で色んなOBから八木春学校と言われた丁稚制度の様子を聞かされたものですが、一番身近で大きな存在だった気がします。能力も非常に高い方で、ソロバンや数字に強く、空で計算がすぐに出来る芸当を持ってました。人間対応力もずば抜けていた気がします。誰とでも話が出来るので、皆尊敬信頼してました。

   そんな方でも最後に銀行との為替デリバティブの契約は、予想もしないリーマンショックで身を滅ぼしかけました。食事が喉を通らないほど会社の事でノイローゼ気味になったのです。そんな時に私は事業を引き継ぐ事となり、元会長には退任頂きました。今から10年以上前の2009年の事です。私の本格的な経営者人生はそこからです。その八木春株式会社のトップも3年前退任し、今年もう一度再任する事になった矢先です。

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(コロナ禍なかなか活動できない財団法人モラロジー献血運動に従業員が参加)

   毎年年始に元会長の家に訪問して、会社の報告をすると同時に健康状態を確認していました。言ってみたら親子みたいな関係だった気がします。仕事熱心で会社に忠実な方だったので、土日祭日以外は休みを取った事がないという程八木春に骨身を注いだ人生でした。お陰で八木春はリーマンショックまで、創業来78年間連続黒字という偉業を残す事が出来たのです。

   その後残念ながら祖業のタオル事業ではなく不動産事業で八木春は再建したんですが、死ぬまでに箕面船場の駅が出来、我々の物件が駅前にある姿を元会長には見てもらいたかったです。また2025年大阪万博も再び大阪が盛り上がって、明るい将来のイメージを持って亡くなってもらったら良かったのですが…

   新型コロナ禍、我々の事を心配していたとしたら居た堪れませんが、安らかに眠りについてもらいたいと思います。時節柄家族葬で済まし、遺族も本人の遺言と言って公に知らす事もありませんが、ここに元会長が立派だった事を少しでも伝えられたら幸いです。私などは足元にも及ばず、死ぬまでには少しでも近づけたらという方でした。恩返し、いや恩送りを必ずしたいものです。

   今日はこんな所で👋