フリー・フラット・リスペクト

    再度ジャカルタです。アジア大会は日本人選手が活躍されてる事もあって、日本でも注目されてるようで、こちらに様子を知ってもらうのに非常にいい機会となってます。シンガポール、上海、香港などがアジアにおける世界の国際都市と言われますが(あ、東京もそうです😅)、ジャカルタもいつか仲間入りするのではないでしょうか。今年来年は世界で一番発展する都市と私は見てます。だからここに来てるのですが…

     当初インドネシアに進出というと誰もが何故って聞いてこられましたが、東南アジアでもポテンシャルはNo. 1であり、しばらく発展の疑いの余地がありません。残念ながら貿易の障壁が異常に高く、進出は困難の連続ですが、だからこそ追随は難しく、先行者利益を得るならここしかありません。そう思っていながら、本当に壁によって心が折れそうになるのは事実です。最近はまず体から維持管理を徹底しないと、これは持たないとまで思うようになりました。

     何せ発展途上というのは日本もそうでしたが公害がひどく、発展と引き換えに環境汚染という大問題を抱えてます。水俣病四日市ぜんそくと言ったものが、日本人の記憶に生々しく、四日市出身のイオンが長年植樹活動を続けられてるのはさすがと言えましょう。私は東京で育ったので特に光化学スモッグの酷さを、ぜんそくという身をもって体験してきました。

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    世界の課題を突き詰めると貧困とか環境とか平和等に行き着くと思うのですが、先週日本におけるゆでガエル理論について書いたので、引き続き外から見た日本についてフィードバックしたいと思います。それは蔓延る官僚体質です。何故ここまで上意下達の世界にあるのでしょうか。相変わらず江戸時代の士農工商といった身分制度をひきづってるように感じられます。

    もちろん世界どこに行っても身分制度みたいなものはあり、インドネシアでも貧富の差はビックリする激しさです。奴隷制度まではいかなくとも上下関係が当然あります。しかし、日本のように発達した文明国が未だ上に対してモノ言えないみたいな、前近代的な風土を保っているのは一体どんな事なのでしょう。水俣病に関して言えば、現場の人間は気づいていたにも関わらず、企業の論理で間違いを犯した典型的な大失敗例です。本来二度と犯してはならない過ちなのに、企業の不祥事は後を絶ちません。だからこそ、リーダーの人間性や倫理観も問われます。

     現代社会はフラットな組織が求められており、そもそも人間関係は対等です。何故コミュニケーションが重視されるように至ったかと言えば、経営者は特に対話を身につけないと企業は良くならないからです。また、フラットであるというなら、リーダーシップは誰もが取れる社会であるべきです。相手を立てるという人間尊重を貫いていかないと、三方よしという商人道は絵に描いた餅で終わるのです。「売り手よし、買い手よし、世間よし」というのは「自分よし、相手よし、第三者よし」に置き換える事が出来ます。

     かと言って自分が必ずしも出来ている訳ではないので偉そうには言えない所もありますが、天皇も神様ではなかった事は歴史が語ってます。要は人間は間違いを犯す動物なので、相手を尊重しながらもおかしな事はおかしいと言い合える間柄をどう築き上げるかではないでしょうか。フリー・フラット・リスペクトを志し、人間の本来的あり方を見直していけたら日本社会はもっと良くなると思います。保身や権威主義を払拭しましょう‼️

     今回はこんな所で👋